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本に引きずられる物語「ある小説家をめぐる一冊 (富士見L文庫) 栗原 ちひろ」

あらすじ

この小説は、現実になる――若き小説家をめぐるビブリオ・ファンタジー

「潮時、か」田中庸は電車の中で独りごちた。
出版社で働き始めて6年目。大御所作家を怒らせ、スランプ中の若き女流作家・些々浦空野に担当替えとなったのだ。

一度は編集者としての未来に見切りをつけようとした庸だが、空野のデビュー作に衝撃を受け、新作企画を持ちかける。
しかし空野は“書いたことが現実になるため執筆できない”と言い出して……。

そんなある日、庸は空野が描いた物語をなぞるように、奇妙な事件に巻き込まれる。
若き小説家をめぐるビブリオ・ファンタジー、開幕!

本に引きずられる物語

本当に面白かった。どこが面白いって明確に言えないの感想ブログとしてどうかと思うんだけど、うまくいえないけど面白かった。
この感覚自体が作中で主人公である編集者が体験したものとよく似ている。物語自体はある程度予想がつくものかもしれない。作家が自分の殻を破るというオチも、中盤になれば想像の範囲内に浮かび上がってくる。
でもその途中の雰囲気や物語の匂い、感覚、その全てが物語へと引きずり込んでくる。読み始めたら勝手に時間が過ぎていく。作家の本を手に取り読みだしたときの主人公のように。
そんな、主人公である編集者の感覚を、本を読んでる自分こそが体験してるような感覚がとてつもなく面白かった。

 

主人公である編集者は、なんどか本を読んで世界に引きずり込まれる。読んでいる本の世界に引きずり込まれ、その場所を自分が歩いているような感覚に陥り、物語の世界を体験する。
最初は、この本を読んでいる私があんまりにも『自分にも近い感覚がある』と思ってしまうためにそれが完全なる怪異というか不思議というか、とにかくそういうものだと認識できないのがちょっとおもしろかった。あるよね、本の世界に引きずり込まれる感覚。
この小説の作者は、その力が他人より強い。自分がモデルにした人物が同じような方法で死んでしまったため、それ以降小説を書くことを恐れている。
だが編集者は、編集者である以上にファンとして、作家の書く物語を読みたい。なので、自分ならば巻き込まれてもポジション的に大丈夫と伝えて小説を書いてもらおうとする。

作家である些々浦が書いた物事は現実に作用する。けれども、それをあやかしものや怪異ものとしてではなく、作者と作家、作者と編集者ものとして描かれているのが面白い。

 

冒頭に書いた通り、この小説は物語自体ある程度予測がつくし、キャラクターも言っちゃ悪いがありきたりな部分がある。
絵に書いたような小説家で、寝食を忘れて小説を書き、偏食で、ワガママで子供っぽい作家である些々浦。そして彼女をサポートする主人公編集者・田中は世話焼きで家事だいたい出来る。だよねー、あるよねー、という組み合わせ。
なのにこの二人で描かれる物語はものすごく面白い。

些々浦が自分の作ったものに自信が持てない感覚は私もうっすらとだけれどもわかる。自分が書いたものが本当に面白いと思ってるのか? こんなものゴミなんじゃないか? という感覚は、ブログの記事だろうがウェブサイトだろうがブログだろうが、なにか作ったことがある人は一度は感じたことがあると思う。
同時に、その制作物を愛してくれている人に対して絶対に言ってはいけない一言なんだよね。『おまえが好きなそれは、製作者からしたらゴミでしかない』なんて、それを愛してる人からしたら最大の侮辱だ。愛しているものを侮辱されれば誰だって怒る。
そこからの流れ、結局田中は本に導かれるし、些々浦の書いた物語を愛しているからこそ生まれるもので、ああすごく好きだなと思わされた。

物語の序盤で些々浦の祖父がとても売れている作家だったということが明かされた時点で、おそらくこの物語は祖父を超えることができないと重荷に思う作家がそれを超える物語なのだろうなと予測がつく。そこまで予測がつくのに、最後まで引っ張られるように最後まで読んでしまった。
本当に、最後から最後まで自分も主人公も本に引きずられる物語だった。